top of page

花の国の王女

1st

 

ああ、あの日は透き通るような空でした。

春もたけなわ、桜の蜜はしとどに香り、月の光は柔らかく彼女を祝福していました。

 

「エデン」

 

 

むかしむかし、まだあらゆるものが互いに言葉を交わしていたころ、花の国に珠のような王女さまがお生まれになりました。

色とりどりの花々が城のまわりにひしめき合って、輪をかいて踊る様子はうつくしく、万華鏡のようにも見えました。

 

「七色」

 

 

王女さまは皆に愛されてすくすくと育ちました。ある日、花の国の女王さまが言いました。

「かわいいわたしの子、この世にはとても大事な決まりがあるの。わたしたちの国を越えて他の国へ渡ってはいけません。大きな橋を渡った途端に、あなたはおとぎ話みたいに、名前をなくして、泡と消えてしまうのよ」

 

「寓話」

 

 

お城の裏手から伸びる大きな橋は、雨の国につながっています。雨の国には、王女と同じころに生まれた王子が住んでいます。王子は泣き虫で、泣いてばかりいるので、雨の出荷がたいへん増えているそうです。

王女さまは、心優しい泣き虫が降らせる雨に思いを馳せました。

 

「玉響」

 

 

意地悪な薔薇が、王女さまをそそのかします。

「お隣の雨の国が、気になってらっしゃるんでしょう。なあに、私たちも貿易のときは門のところまで行くんです、境界線を越えずに帰ってくれば大丈夫です。もう夜が始まりますから、こっそり抜け出せば、誰も見ちゃあいませんよ」

 

「rose」

 

 

その夜、王女さまは、寝たふりをして召使いの目をやり過ごし、城の裏手の大きな橋へ向かいました。橋を渡ると鉄格子の大きな門がありました。そろそろと近づくと、鉄格子の向こうから、うずくまる子どものかすかなすすり泣きが聞こえます。

 

「dragon」

 

 

「あのう、あなた、雨の国の王子さまですか」話しかけると子どもの影はびくりと震えました。「どなたですか。僕が泣いてばかりいるので叱りに来たんですか」

「いいえ、あなたがどんな方なのか気になって来たんです。こんな、国のはじっこで、何をしているんですか」「分からないんです、どうしても、毎日が悲しくて悲しくて」

王女さまが困っていると、雨の国の空からどんと音がして、鮮やかな花火が上がりました。

 

「スターマイン」

 

 

「ああ、今日は雨の国では夜通しのお祭りなんです、それすらも僕には悲しくて、悲しくて」王女さまは堪えきれずに笑い出しました。「どうして笑うんですか」「わたしも分かりません、なんだかどうしても楽しくて。ねえ、そちらから、こちらの夜空の星が分かりますか。花火とお星さまを代わりばんこに見ながら、おしゃべりしませんか」

 

「夏の大三角」

 

 

2st

 

さて、あの夏の夜から、王女さまは雨の国の王子さまと度々会うようになりました。はじめて同じ年頃の友だちができたのです。ややもすると雨の国に行ってみたい、とも?

いえ、いえ、とんでもない。危険な考えをかき消すように首を振りました。

 

「花とみなしご」

 

 

季節のお祭りがある日は、騒ぎに乗じて夜にお城を抜け出し、門を挟んでおしゃべりをします。最近王子さまはあまり泣かなくなりました。つぶらな稲の花が咲き、そこに雨が降って稲穂となります。花の国はやがて、秋を迎えます。

 

「豊穣祭」

 

 

真っ赤なポインセチアのパレードが、城下町を練り歩いています。もうすぐ冬が訪れます。雨の国では冬のお祭りに、誰がパレードをするのでしょう。今日も聞きたいことができました。

 

その夜、王子さまは、来ませんでした。

 

「クリスマスのうた」

 

 

それから何度か、橋を渡っては戻る夜を繰り返したころでした。寒い日のこと、王子さまは泣き腫らした目をして門の向こうに立っていました。「もう会えません」

「雨が減って、僕たちのことが雨の王に知れてしまったのです。このまま僕が涙を失ったら、あなたがただって、干上がってしまいます。もう会えません」

「出会ってはいけなかったなら、なぜこの世はつながっているのでしょうか」

わたしの声は白い息となって、空に溶けました。雨はなお、雪混じりに降り続けています。

 

「snowdome」

 

 

王子さまは踵を返し、足早に歩いていきました。この間の貿易で誰かが鍵を忘れたのでしょうか、門扉がすこし開いていました。

王女さまは扉を押して、雨の降るぬかるみを、王子さまを探して走りだしました。

 

「かくれんぼ」

 

 

王子さまの姿をすっかり見失ってしまいました。もう一度走り出そうとする王女さまの手を、誰かが後ろからぎゅっと握りました。

「何をしているんですか!早く戻ってください。あなたの名前がなくなってしまう」王子さまはこんな冷たい手をしていたのだと、王女さまはなぜか嬉しくなりました。

「ならば今宵かぎり、ここで踊りませんか。わたしがわたしでなくなってしまえば、どうせ全て忘れるのですから」

 

「真夜中」

 

 

みぞれの中を、ふたりは踊りました。「やっぱり、帰ってください」王子さまはまた泣きながら言いました。「まだ間に合います。そしていつか、言葉も名前もいらなくなって、この世がほんとうに地続きになったとき、また会いましょう。それまでどうか、元気でいてください」

 

「海里」

 

 

そうして王女は、花の国へ戻ってゆきました。そのあと、花の国と雨の国がどうなったのかって?それはまた、別のお話。

 

「祝詞」

 

 

 

花の国の王女さまの名前は、ミモザといいました。

en「mimosa」

bottom of page