船の上のおはなし3

 

「名前は、まだない。」

 

 

 

 予約を受けたときから、変だとは思っていたのだ。その日ツチヤ船長とサワは役所に行くだかで出かけていて、留守番の俺が電話に出た。

 

 「時の船クルーズ、マービーです」

 「あっ、まいどおおきに、猫です」

 

 えらく声のしゃがれた猫だった。複数の猫の集会で幅を利かせているという彼は、最近はじめた富裕層向けの高級雑貨店が好調で、あんまり儲かっているので集会の猫たちにクルーズとご馳走をふるまってやりたいのだという。

 

 「せやさかい、ワガハイにもプライドちゅうもんがありますさかい、マタタビ料理をフルコースでな、五十匹分と、コンサートも豪華にばーんと、弦のカルテットでも入れて、用意してもらいたいんやわ」

 

 猫は自分をワガハイと呼んだ。喋りかたの癖がサワに似ていて、なんとなく胡散臭かった。西のほうの国の方言だったと記憶している。切符のいいことを言うが、猫の集会をいくつも取り仕切るボスがいるなんて聞いたこともない。俺は悩んだ。しかしこの船の規模を考えると、大仕事といえる部類だ。ツチヤ船長が大入り袋を渡してくれる場面を想像した。後ろでサワとサヨが俺に向かって嬌声をあげている。

 

 『マービー、すばらしい仕事を取ってくれ

てありがとう!君に留守番を頼んだおかげだ。これはボーナスだ。ぱーっと使ってね。今日も男前だね』

 『マービー!きみは最高の乗組員や!ハンサム!』

 『マービーさん!素敵です!この世で一番かっこいいです!』

 

 俺は予約を受けることにした。電話番号と名前を聞くと、途端に猫の声は弱々しくなった。

 

「名前?そんなもん、まだ、あらしまへん」

 

 

 

 

 

 その日のクルーズは盛大なものだった。続々とおめかしをした猫たちが、時の船に押し寄せた。マタタビに酔った彼らは歌い踊り、甲板でのコンサートは歓声が鳴り止まずアンコールを繰り返した。お土産を匹数分用意するように言われ、廊下には鯛のジャーキーの香りが立ち込めていた。甲板からささやかな打ち上げ花火をあげると、猫たちの黒目がちな瞳は光をうつしてきらきら輝いた。

 

 予約通り五十匹の猫がジャーキーの袋をくわえて、ずらずらと満足げに帰ってゆく。俺たちは心地よい疲労とともにいた。船室で休んでいると、サヨが血相を変えて飛び込んできた。

 

「あの、お会計まだなんですけど、ご依頼主さんが、いないんです」

 

 

 

 船中を探しまわり、厨房に転がるしゃがれ声の猫が見つかったのは、夜が明けようかという頃だった。猫は酔い潰れて寝たようだった。

 

「あきまへんなあ、なんぼ生まれ変わっても、ビールはいっこうに、強うならんわ」

 

「あの、今日のお代を」

 

「はっ、金なんぞあらへん。贅沢できるだけしつくして逃げたろう思てたのに、このざまや」

 

 大仕事に目がくらんだ自分を悔いた。サワが呆れた視線を送ってくる。なにさ、きみだって俺の立場だったらこうしてただろうさ。

 

「富裕層向けの雑貨店なんて嘘八百ですわ。経営しとった店は立ち行かん、集会に行けば馬鹿にされっぱなしで、むしゃくしゃして、ぱーっと景気ええことしたなったんです。えろうすんまへんでした」

 

 ほんまは、ワガハイ、こういうもんです。と、差し出された名刺には『ガラクタ屋 店長 猫』と書かれていた。

 

「鞄の中に、店の商品ありったけ詰めてきましたから、すきなだけ差し上げます。妖怪の画集にゾウリムシのレターセット、遠い国の地図で作った封筒、どこのもんか分からん切手が一面に貼ったある絵葉書。名前のつけようもないガラクタばっかりです」

 

 猫は力なく笑った。毛だらけで、まだ酔っているかどうかは分からなかったが。

 

「名前のないもんが、いとおしい宝ものに見えるんです。ワガハイにまだ、名前がないっちゅうことだけは、ほんまなもんですから」

 

 

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