船の上のおはなし 2

 

「林檎と珈琲」

 

 

「カレーに入れる隠し味ゆうたら、りんごとコーヒーなんです、うちは」

 

 厨房から苛立った声が聞こえてくる。

 

「ここのコーヒーを隠し味にするなんてぼくは認めないし、ここはきみのうちじゃないよ」

 

 ツチヤ船長と案内人のサワさんが、また言い合いをしているようだ。子どもの喧嘩みたい。サヨは二人に見つからないように、廊下をそっと曲がった。

 

 

 サヨは昨年から、このタイムズシップで乗船員として働いている。お世辞にも豪華客船とは言えない、個人経営のクルーズ船だ。あれ、そういえばどうして、時の船なんてロマンチックな名前なんだろう。

 

 厨房からはまろやかなカレールウの匂いがしている。サヨは、カレーが好きだ。カレーライスからは、包容力を感じる。野菜もお肉も魚介も包みこむ、大人の余裕。ごはんもナンも捨てがたいし、出汁で薄めてうどんを入れても仲良くしてくれる。パスタと絡めたっていい。カレーパンも素敵だ。そんな寛容なカレーライスについて、あんなふうに喧嘩するのはよくない。うちではいつも何入れてたっけ、赤ワインに、チョコ、味噌。隠し味にも寛容なおかただ。見習いたい。

 

 雇われコックさんはいるけれど、この船には料理人は常駐していない。お客さんに軽食しか出さない日は、こうして自分たちで賄いをつくる。そのかわり、ツチヤ船長が淹れるおいしいコーヒーがここの名物だ。船長さんになる前は、喫茶店をやっていたんだって。

 

 あれあれ、そういえばどうして、喫茶店から船長さんなんて大幅な進路変更をしたんだろうか。船の名前と、なにか関係あるのかな。考えこんでいたら二人に見つかってしまった。

 

「ね、おサヨちゃんは、カレーに入れるやんね、コーヒー」

 

 サワさんが捕まえたとばかりに勢いよく尋ねてきた。

 

「よく、コクが出るって聞きますよね」

 

「きみが今日のお客さまのために挽いたばっかりのコーヒーを使うから僕が怒ってるんでしょう」

「だって、そこに置いてあってんもん」

「そもそもりんごとコーヒーは合わないよ」

「カレーに入れるぶんには、どっちも定番ですよ」

 

 まあ、こんなことで喧嘩するんだから平和なもんだね。サヨは夢中で言い合うふたりの横をすり抜けて、お湯を沸かし始めた。まな板に半分残っていたりんごを手に取り、抽斗からおろし金を探す。

 

 年季の入ったジャグに、フィルターを敷いてお湯を注いだ。苦く芳ばしい香りがふわりと、カレーの香りに溶けてゆく。今日はこのわたくしが、海のように心広きカレーになってあげましょう。

 

「そもそもきみのそのがさつなところが」

「そもそも船長のその分からんちんが」

「まあまあ、おふたりとも、コーヒーが入りましたよ」

 

 調理台にふたつ、カップを置いた。すりおろしたりんごを、コーヒーにおとしてスプーンで混ぜる。

 

「…りんごと」

「コーヒー」

 

『いやー、合わないでしょう』

 

 ふたりが仲良く口を揃えたので、サヨは笑ってしまった。

 

 

「まあまあ、召し上がれ」

 

 

 まだ思い出は少ないけれど、この船に流れる時間が好きだ。変わってゆくもの、変わらないもの。混じり合えない思い出も、海の上でぜんぶ引き受けて溶かして、やわらかくおいしくしてくれる、この船での時間が。そう、カレーライスみたいにね。ふたりはりんごコーヒーを怖々と啜った。

 

 

 

『あ、おいしい』

 

 

 

 

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